taka-engstalex’s diary

大学で言語学(英語)を専門に学び、教員免許・英検準1級を取得。 カナダ・アメリカへ留学したり、大学付属の国際寮でいろんな国の人と生活し、異文化を肌で感じました。 現在はフリー英会話講師をしている、僕の日常から英語に関してのブログを上げていきます!

実は友人が今、、、

 

 

 

こんにちは!

 

 

 

 

 

 

 

今日も少しだけシリアスな内容です。

 

 

 

 

 

 

「シリアスな内容はもういいよ!」

 

 

 

 

 

とお思いの方もいますよね?

 

 

 

重々承知の上です。

ですが、お付き合いください。

 

 

 

 

 

 

さて、自分は「講師」という形で教員もしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

生徒や保護者の方からクレームや苦情が来ることは滅多にありませんが、もちろん来ないわけではないんです。

 

 

 

 

 

ただ、その「内容」がひどかったりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分にクレームが来た事はないのですが、友だちのなかに何人も教員をやっている人がいます。

実は友人が夏休み直前にうつ病になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その人たち曰く、保護者からは

「担任の変更」

「教科担当者の変更」

「教員の解雇」

体罰

「教員の言動」

「先生に目をつけられている」

などが主となった内容です。

 

 

 

でも生徒の言い分をよく聞くと、

「提出物を出さないから注意された」

「言葉遣いが雑」

「個人的に気にくわない」

「授業が分かりにくい」

「字が汚い」



などが生徒の中で思っていたものが生徒の感情で大きくなったものもあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、苦情・クレームが入った時点で

どの教員も改善を試みます。

 

「言葉遣いに気をつける」

「話すスピードを落とす」

「分かりやすいようにプリントを用意する」

「笑顔を心がける」

など

どの教員も必ずします。

 

 


 

 

 

 

なぜなら、教育者として「信頼性」を失うわけにはいかないからです。「信頼性を失う」ことは教職員として致命的だからです。

 

 

 

 

 

 そして、生徒にも

「提出物は期限を守るように」

「遅刻はしないように」

「予習は欠かさないように」

「忘れ物はしないように」

「授業中寝ないように」

 と注意を促します。

 

 

授業中寝ないような授業を計画し、提出物の有無と提出期限の明確化をするのが教員の役目です。



一方で、遅刻や実際に寝る、忘れ物と予習をしてこない。それらは生徒の責任です。なぜなら、少なからずお金を払って通学していますよね?


交通費、制服代、ご飯代、部費、授業料、入学費、施設拡充費、、、と。








「授業が分からない」という生徒の中に、寝ている生徒がいるケースが非常に多いんです。寝ている生徒を起こす指導をするとなると、どうしても常習で居眠りする人がいるので、その生徒を起こす必要があります。そういった生徒から「他にも生徒がいるじゃないですか」と反抗されることもあるそうです。


予習についてもそうです。やってこない生徒を指名しても授業が進まないんです。それでいて「自分のお気に入りの生徒だけ指名してる」と反抗もされるんです。







はっきりとしておきますが、

教職員のお気に入りだけ指名することはありません。そもそもお気に入りを作るようなこともしないと思います。


指名されることの少ない生徒は、基本的にこれまでの中で予習をしてこなくて、授業が進まない可能性があるから指名出来ないのです。


寝ている生徒を起こすのもそうです。寝ていなきゃ目をつけたりなんてしません。嫌いでその生徒を起こすわけではないんです。






しかし、そこを履き違えている生徒はたくさんいます。自分も中学時代、高校時代はそうでした。




履き違えている生徒は改善をしません。

理解している生徒は次には良くなっています。




履き違えている生徒やその保護者からの苦情や、対応によって友人は鬱になってしまったのです。







 

 

 一方で、

「試みた改善策」が生徒の神経を逆撫ですることもあるんです。

 

 

これまで言葉遣いが悪かったのに急に丁寧になって馬鹿にされてるみたい」

「プリントがゴミになる」

「話すスピードを遅くしたり、字を丁寧に書くようにした結果授業が進まない」

 

などがあるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

保護者の方々は、

自分の子どもという理由で鵜呑みにし易いらしいです。当然鵜呑みにすると思います。なぜなら自分の子どもに悪影響を及ぼされる訳にはいかないし、質の良い教育で育てたいという気持ちもあります。

 

ですが、今一度、お子さんの言葉を聞いてみてください。必ずしも「教育者」が悪いというわけではありません。普段の素行が悪くて成績が悪い場合もあれば、いわゆるお子さんの先入観で色々言っている可能性もあります。話が二転三転するのはどんな人にもありがちですが、学校に連絡を入れる際は、

 

 

 

 

 

「〇〇先生が、××という感じらしいのですが、本当でしょうか?可能なら、〇〇先生とお話ししたいのですが....

 

 

 

という相談をしてみてください。

 



改善してくれたかどうかも、お子さんだけでなく、学校側にも確認した方が良いでしょう。

 

 

 

 

 

 

例えば、

嫌いな人がいると仮定して、その人から

「あれ取って」

って言われるだけで感じ悪く思いませんか?

 

「申し訳ないんだけど、あれ取ってもらっていい?」と言い方を変えるだけで、マシに感じると思います。が、それでも嫌いな人が言う事である以上、既に抱いているイメージが急にガラッと変わるわけでは無いですよね?

 

 

そう言った個人の感情は間違いなく関係しているかもしれません。

 

 

特別根拠もなく、曖昧な状況で急に苦情・クレームを入れてしまうと、数あるクレーマー世間一般的にいうモンスターペアレンツと一緒くたにされるかもしれません。



 

 

教育者の方は分かると思いますが、生徒の要望・言う事を全部叶えることはほぼ不可能なんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

一人一人育ってきた環境も違えば性格だって違うんです。


 

生徒1人の「あーしてくれ」「こーしてくれ」はほぼ実現不可能なんです。もちろん、生徒だけに限らず、保護者1人の「あーしてくれ」「こーしてくれ」も同様、ほぼ不可能です。


 

 

 

そこはご理解していただく必要のある点です。

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、教職員はというと


苦情・クレームにおいて、

何が良くて、何が悪い、どう改善するかなど

「具体策がない」場合、あるいは「具体策が曖昧な場合」が非常に多いですが、そういう場合こそ普段の行いを気をつけるべきです。それが「具体策がない・具体策が曖昧な場合」に出来る善処なのです。この点は保護者の方々にも理解してもらう必要があります。

 

 

 

 

 

 

たとえば、生徒と普通に会話していて、会話している相手に良く思われていても、全く関係のない第三者から見た場合、「言葉遣いが悪い」「馴れ馴れしい」などといった印象を持たれてしまうこともあり得るのです。

 

 

 

 

 

「善処して改善を試みる」という行動が大切なのです。

 

 

 

 

 

具体策があるのであれば、それをするに越したことがないと思いますが、具体策がないとなると善処すると言うことが一番の善処なのです。「気にしない」はあまり良い改善策ではありません、多少は気にしておかないと、大ごとになってからでは遅いです!

 

 

 

 

 

 

もちろん、人の好き嫌いもあれば、いわゆるアンチと呼ばれる人たちも出てきます。それは当然です。

 

 

でも教職員はそれを気にし過ぎると、授業をするどころか声を発することもできなくなります。そして最終的に心を病み得ます。

 

 

 

 

 

一クラスあたり40人いるとして、40人中15人はアンチの可能性があると思っていた方が妥当です。

 

 

 

 

 

そしてアンチの声に耳を傾けるのではなく、アンチではない人、中立的立場の人、好んでくれている人をより大切にすべきです。

 


だからといってアンチは無視、差別するという話ではありません。アンチを減らす努力はしないといけません。ただ、アンチに何かあるごとに突っかかって行くのでは、非アンチ、中立的立場の人、好んでいる人の時間の無駄につながるのです。

 

 

 

 

人間誰しも好き嫌いがあるので、アンチが出るのは仕方のないことです。

 

 

 

 

 

でも、アンチという人たちは自分たちに「改善点」を教えてくれます。

 

 

「話すのが早い」であれば、ゆっくり話す

「字が汚い」であれば、丁寧に字を書く

「声が小さい」であれば、声量を大きくする

「分かりづらい説明」であれば、分かりやすい説明にする

「すぐ怒る」であれば笑顔を心がける

 

 

 

なのでアンチの声も必要なのです。

 

 

 

 

 

もう一度いいます。

 

 

 

より大切にすべきは、アンチよりも非アンチの人たちなんです。その中でアンチの声も重要なのです。

 

 

 

 

どの生徒も差別せず、アンチの声に耳を傾けその意見やアンチを大切にし、非アンチをより大切にしてください。



教職員だけでなく、日常生活の中でもアンチはでます。致し方ないことです。




ですが、友人が鬱になってしまったため、

今回は少しでも理解して欲しくて少しヘビーな内容になってしまいました。